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  • 執筆者の写真Yuki

その昔は英国館という洋食屋

更新日:2022年1月10日

今朝は、6時前に目が覚めました。ちょうど外の雨脚も激しくなっていましたが、今日は成人式ということで、お隣の大谷美容室にはもうこの時間に先生たちは集まっていて、お客さんも6時には来始めました。それから明け方まで、ずっと雷が続き、大雨でした。成人式の式典が始まる頃には晴れるといいなと思いながら、雨が止むのを待っていました。


今日は、会社のプレゼンの準備をしなければならず、朝から仕事をしていました。ちょうど山下達郎のサンデーソングブックが終わった頃に、キリよく終わったので、さてこれから何をしようか、と思っていたところ、髪が長くて気になっていたことに気づきました。東京に行って髪を切るのもあと一週間だし、東京の美容院だとどうしても高くなってしまいます。

そこで、思い切って、地元理髪店に行くことにしました。


近所の一番近いやぎ理容店のおじさんはとても優しそうな印象だったので、やぎ理容店に行きました。まずおいくらですか?と伺ったところ、カットだけなら2,200円です、とおっしゃっていただけたので、すぐに決めました。


お話を伺っていると、京都で10年修行して、珠洲に戻ってきたのが昭和41年。それ以来のお店だそうです。もう56年目ということになります。当時は人口も33,000人くらいで今の3倍はいたそうです。とても賑やかな商店街だったそうで、当時は紡績工場や電子工場もあったそうで、工場には300人くらいが勤めていたと聞きました。さらに、当時は空前の能登ブームで、たくさん旅館があり、どこも常にいっぱいだったそうです。今では考えられないくらいです。


そうした昔話を聞きながら、今住んでいる場所のお話をすると、この建物は、昔、地主の助則家の三男の方が、隣の大谷美容室の建物と一緒に、英国館という洋食屋をやっていたそうで、とても流行っていた、とのことでした。この建物は当時建てたそのまま、だそうで、だから珠洲には珍しい洋風のモダンな造りになっていたんですね。


英国屋自体はこの辺りでは当時とても流行ったそうです。しかしながら、流行った以上に三男は金遣いが荒く、毎晩飲んで遊び回ったそうで、いつしか金まわりが悪くなり、お店を閉め、建物も抵当に入り、親戚だった道下さんが引き取る形で今に至ったそうです。なので、元々は道下さんもお父様が引き取っていたのを受け継いだ、ということでなかなか情報がなかった、というのもうなづけました。助則家は珠洲では財閥と言われ、山や土地をたくさん持ってらっしゃり、飯田の真ん中で大きな旅館もやっていたそうですが、次男が東京の極東会に、三男も英国屋で失敗し東京に流れた中で、長男夫婦がどうにか旅館をやっていたものの下の二人にお金がかかり、持っていた山や旅館や土地も手放してしまった、とのことでした。


昔話に思いを馳せながら、なんとも不思議な感じがしました。洋食屋としてスタートした建物。英国館という名前。そして、自分がイギリスに依頼して作ってもらったジンを売る拠点に選んだ。なんとも不思議なご縁があるもんだ、と思いました。そして、この建物も、もう50年近く経っていることになります。中の造りはいまだに変なところがありますが、それでもしっかり建っていることを思えば、なんだか大事にしなければ、という気持ちになりました。


いずれにしても、地元のやぎ理容店を選んだのは正解でした。もう今までのようなモダンな髪型にはなりませんが、年齢も年齢なので、これでいいかと思います。これからお世話になろうと思いました。



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